処女性 - 中古という呼称について

たまに女性に対して「中古」と呼称するのを見かけることがある。
あれってものすごく穿った見解だと思う。
ふとあるとき思い浮かんだことだけれど、処女とそれ以外の人に対して「使用」という点を境にして考えるのは、処女性について勘違いしている人じゃないかと考える。
なぜなら処女は「未完成」であって、それ以外の女性は「完成」であるから。


破瓜するということを「女になる」と表現することがある。「男を知る」ともいう。これは女性が男性と情事を重ねることで一人前とされる、と云うような考えがあるからだろう。
そして「男は名前を変えて保存、女は上書き保存」と云うように、男は自分の恋愛を過去のそれとは別物と考える。かつ、女性に対しては「過去まで自分のものにしたい」と考える人がいる。
ガンプラを作るときに、ほとんど出来上がったものにカラーリングするという工程だけを楽しむ人は少ないと思う。大量生産されたガンプラでも、過程によって完成品は微妙に違うから、「自分がつくったガンプラ」ができあがる。それと同じように、「女性を初めから自分のものとして完成させたい」という考えがあるんじゃないか、ということ。
これは男のひどいエゴだ。だがまあ、女性の方々は「男って(笑)」とでも鼻で笑ってほしい。男の性(さが)だからね。
とはいえ、こういう考えを男がみなもっているとは限らず、「おいしいとこ取り」するために、ある程度完成されたものを楽しむという男もいるだろうね。俺はそっちのタイプじゃないからよくはわからんけども。


だから、女性を「中古」呼ばわりするのは、ただの悪意だけに依る。女性もプライドが高いから、すぐ激昂するのを狙ってのことだろう。だからもしこの「中古」という言葉を見聞きしたら、「処女性について考えたことのない罵るだけの肉塊」とでも思えばいいと思うよ、老若男女関係なくね。