なにが文学か。なにが人生か。

ケータイ小説がひどいとか、エロゲはどうだとか、
実は一般小説は同じように下らんだとか、いろいろいうヤツがいる。

まず最低限ものを語るに必要なことは、それを経験していること。
ケータイ小説、エロゲ、一般小説、すべてにおいて経験していないとなにも語れない。
たとえば映画なんかで前評判だけで見た気になって、ああだこうだと批判するなんてのは、馬鹿げてる。
前評判なんて宣伝でどうにでもなるもんよ。
実際に目の当たりにしてみないと、ただの戯れ言になってしまう。





さて、ところで俺はすべて経験している。どれも酷いものは酷いし、いいものはそれなりにある。

まずエロゲ。
これは名前の通り、「ゲーム」だ。
システムやストーリー、また演出効果など吟味する箇所は多くある。
俺が好きなのは、断然「抜きゲ」だ。

勘違いしているヤツが多いようだが、
エロゲからエロを抜くと、ただのゲームになる。
コンシューマからわざわざ離れてPCでつくる意味がない。

逆に嫌いなのは、「泣きゲ」だ。
よくここで挙げられるのが「クラナドは人生、Fateは文学」だが、別にこんなのはどうだっていい。
人の価値観なんてそれぞれで十人十色だし、わざわざ否定することもない。その人が好きならいい。

ここでキレちまうヤツは、一般小説をやたら高みにあげようとしたり実際してたりする。
下らん小説なんて山ほどある。
クラナドFateも流し見したけれど、前者はネタが盛り込んであってスキップしながらも楽しめた。
type-moonは冗長なイメージが纏わりついてて嫌い。
けれど他人が好きだったとしても、俺自体になんの関係もない。
だから否定はしないし、俺自身が嫌いなら嫌いという。

それとエロゲに関して俺は他のコンシューマ・PCゲームより一段階、低く見ている。蔑視といっていい。
ここでいうエロゲは、18禁作品すべてにいえることでエロメインじゃなかろうと関係ない。
逆にいえば、小説でも官能小説は見下している。
それはセックスというアピールポイントなしでは売れないと制作サイドが見切っているから。
それでも売れるのなら、どうぞコンシューマーのみで出してください。
ブランドによっては、エロがなくても売れるポテンシャルを秘めていながら
あえてエロが出したくて18禁にするところもあるだろう。それは賞賛する。もちろん、見下した上で。

またメディアミックスで、地上波アニメ化されるものもある。
それだけの実力をもっているから、というヤツもいるかもしれない。
だが後続作品なんぞ知らんがな。根幹にエロがあるなら駄目だ。

クラナドなどに関しては、第一次作品は全年齢らしいが、後続の作品が18禁ということらしい。
これも駄目。オフィシャル作品に18禁があれば否応なく見下す。

これは作品に限ったことではない。
たとえば女優やタレントにしても、AVに出ていればヨゴレである。
声優に関しても、名前を変えていようが18禁に出ていればヨゴレ。
イラストレーター・絵師に関しても同様。
これは正式な仕事においてのみではなく、同人や過去に一度でもそういったものを発表していれば卑下する。

ただそういったものは個人のうちに秘める感情であり、作品の良し悪しとは別の次元のものである。
だからそのエロゲのなかにも、確実にいいものはある。




次にケータイ小説
俺としてはもう女物と割り切ってしまっているから、正直のところどうでもいい。知ったこっちゃない。
まあいうことがあるとすれば、10代までの読み物だ。
20代であれを読んで感動し、あまつさえ泣いているようじゃ
文盲といわざるをえない。他の小説を読んでないってことだろうし。

エロゲを擁護し、かつケータイ小説を批判するときに
「エロゲはプロ、ケータイ小説は素人」ということがあるようだが
その場合、プロの作品であればすべて賞賛されることなのか?
プロ・アマともにピンキリいるわけで、プロの下とアマの上を比べると、アマのほうが勝つことも多いだろう。
言い争いに勝ちたいだけなら、もっと本を読めといいたい。




最後に一般小説。
おそらく3つのうち、作品の絶対数がいちばん多いものだと思う。
エロゲ・ケータイ小説はほぼ日本においてのみだが
一般小説は海外にも作者は大勢いる。
むしろ日本と海外を比べれば、何倍も海外のほうが多いだろう。
なにせ一国とそれ以外の比較なんだから。
数えたわけではないが、日本においてでさえエロゲと一般小説の数を比べれば、小説が多いことと思う。
ケータイ小説なんて微々たるもの。
それなのにエロゲとケータイ小説は日本だけ、一般小説は海外にもあるわけだ。
だから一般小説の絶対数は、エロゲ・ケータイ小説の比にならない。

さて、その限りない一般小説のうち、ピンキリのなかの低位置の作品にあたることは少なくない。
文学といわれているもののなかにも程度の低いものはある。
教科書に載っているようなものも然り。

たとえばエロゲを10本、プレイする。
ケータイ小説を10作、読む。
一般小説を10作、読む。

ケータイ小説なら、よくそれだけ読んだものだ、と思える。
エロゲなら、ああそういう趣味なのね、と感じる。
一般小説なら、だからどうした、となる。

同数の作品を経験しても、既存の作品の絶対数が違うから評価も違う。
各形式の絶対数のうち相対的な割合で、どれくらい読んだかによって理解の度合いは変わる。

たとえば概数ではあるが、エロゲは10、20もすれば語れると思う。
だが一般小説は100程度ではどうにもならないだろう。

ただし勘違いはしてほしくない。
Fateをプレイしたなら、Fateの感想はあるだろうし、してもおかしくない。
他のエロゲやケータイ小説に関しても、同じ。
だが。Fateをひとつプレイしたとて、エロゲは語れない。
ましてや小説を読んでなければ、書き物全般については語れない。

「自分のなかで至高の作品」なら構わない。
だが「すべての書き物のなかでベストだ」と語れるかどうかは、
それ相応の作品数を経験してから語るべきだ、ということだ。