食べ生き

母に釣りの話、魚を捌くとき眼が怖かったと話をしたら、
実に意外なことが聞けた。

俺が腹のなかにいる間、なぜだかわからないが
イカを捌くことができなくなったんだという。
その理由はやはり「眼が怖いから」。
俺の姉が腹にいるときは、そんなことはなかったそうだ。

なにが起因となっているのかわからんが、
そういうことがないとはいえないと、悪魔の証明がいっている。



あと、今日になって気づいたことなんだが
自分で釣り、卸したのは初めてだった。
すべてを自分の手でしたということだ。

スーパーで売っている切り身なんてのはなんでもない。
パックに入っている一尾の魚を卸すこともどうってことはない。
自分で釣った魚を他人が捌くのもたいしたことではない。
釣ったのも捌いたのも、すべて自分。
その魚を殺したのは、紛うことなく俺。

最近では、命が軽視されているという報道もある。
骨なし魚や、カブト虫は電池で動いているという話。
なかには、教会へ行けば生き返らせてくれるとさえ考えているらしい。
ネタにも程があるが、実際に卸す場面を見なければ命はわからない。
スーパーで売られている魚は、死んでいる。
切り身でなく生身で売られていても。

俺は生け造りや踊り食いなんかはしたことがない。
おそらく、することもない。
昔、中学の頃に社会見学があって動物病院へ行った。
犬のヘルニアの簡易手術をを見ることになったが、
女子たちが平然としているなか、
俺だけ気分が悪くなって途中退場した。
血を見るのに弱い俺には、
鮮度のために目の前で裁かれるのを見るのはつらい。
口のなかで噛み殺すなんてもってのほか。

けれど、日々俺たちが口にしている食べ物は
自分が殺さずとも誰かが殺している。
そこから目を背けて、自分が食べるために
なにものも殺していないように考えるのは偽善だ。

だからといって、食うために殺すなとはいわない。
いえるわけがない。
ただ確実に命は消費されるということに気づき、
その上で、食べるという行為を続ける。
生きるといのは、そういうことに他ならない。