±(プラスマイナス)

生きる、という動詞について。


「生きる」という語の対義語には「死ぬ」という語がある。俺は特別、二元論が好きなわけじゃないが、まあ他になにか介する語があるわけでもなさそうだからこの2語に絞って考える。
言葉として、肯定と否定の属性を与えるために、この2語にも是非を加味する。


1-a.生きる
  (もしくは「生きている」)
1-b.生きない
  (もしくは「生きていない」)
2-a.死ぬ
  (もしくは「死んでいる」)
2-b.死なない
  (もしくは「死んでいない」)


この4つの言葉は、定義がもんのすごく難しい。
たとえば「1-a.生きている」を「生命活動を行っている状態」と定義したとする。じゃ、脳死って生きてるってことだろうか? 脳という体の一部は活動を停止しているが、臓腑は活動している。まさかなんとかの猫みたいに数%生きていて、数%死んでいると割り切るにも難がある。実際、この状態の患者を目前にしたときの医師の反応は定型ではなく、人によるものだと云える。だが人によって捉え方が変わるということは、定義が崩壊していると云うことでもある。だから「生きている」を「生命活動」と短絡的に直結できるわけじゃない。
またゾンビのことを「生ける屍(リビングデッド)」と云うことがあるが、あれは生きていると云えるだろうか? そもそものゾンビの定義がわからない(生命活動をしているかしていないかがわからない)からハッキリとは断言できないが、俺としてはアレを生きていると云いたくはない。
それに「死んだ眼」という表現もある。実際に眼球が死んでいるわけじゃない。そういう風に見えるだけということだ。


このように生き死にの定義は難しい。本来なら定義とは客観的でいつどこでも誰彼かまわず適用できる汎用性が必要なはずなんだけれども、「人による」とエセ個性主義みたいなことを云い出してしまうと崩壊の危機に瀕する。


んで、さっき「生きる」「生きない」の違いを「是非」と記したけれども、「是」とはすなわちプラス、「非」とはすなわちマイナスと単純に考えてもらって差し支えない。「是が非でも」というのは「YesがNoでも」と違わない。


で「生きる」は肯定だからプラス、「生きない」は否定だからマイナス、と考えてもらってもこれまた差し支えない。だがしかし! 「生きる」ことが善で「生きない」ことが悪ではないと肝に銘じておいてほしい。さっきまで云っていたプラスやマイナスと云うのは、あくまで言語学的なものの見方であるからだ。つまり……


食べる:+ 食べない:−
叫ぶ:+ 叫ばない:−
苦しむ:+ 苦しまない:−
撃つ:+ 撃たない:−
死ぬ:+ 死なない:−


こういった具合になる。簡単に云うと「ない」がつくとマイナスになる、ということ。「ない」ってのは、まさにかけ算でいうところの「マイナス」だってことだ。動詞とはどんな意味をもつものでもプラスの属性であり、「ない」がつくことによってマイナスになる。実に単純だ。
だがここでさっきの「言語学的」という言葉が意味をなしてくる。
今まで語ってきた「プラス」「マイナス」とは、決して「人間が考える意味」としてのプラスマイナスではない。たとえば褒めることは子供にとってイイことであり、殺すことは被害者にとってはとてもワルイことだ。だがこのイイワルイは、人間性において云えることだ――ということを今度は知ってほしい。


さて、そろそろ話がこじれてきたと自分でも危うく感じてきたところで、話を先に進めよう。
「生きる」ことはプラスで、「死ぬ」ことはマイナス。好きな人が生きていれば嬉しいし、その人が死んでしまえば悲しい。それは当然だ。
けれども実は人間性とは「曖昧」だってところに核心があると云えるぐらいボーンヤリとしたもので、プラスもマイナスも大して決まってない。
だから「生きる」ことはマイナス、「死ぬ」ことはプラス――こう云うことだって云えるわけさ。
だってさ、両親に捨てられて孤児院で育った少女が養子に入れられ養父に処女を奪われ養母に金を稼げと云われ、家出したあげくが心ないAV業界で凌辱モノ中出しモノレイプモノと被虐行為をさんざ受けたと思えば、年が少しかさんだら事務所を追われ、寒空のなかで出会った青年と恋に落ちるもAVのことを知られて汚らわしい近寄るなと罵られ、これが最後の頼みの綱と産みの親を探してみれば、孤児院の院長に殺されていたと知ってしまった、そんな少女がいたとして、「生きろ」と云えるだろうか? 俺にはとてもじゃないけど無理です。
だからこそ逆にその少女には死が救いになることがあるかもしれない。
人間が考えるイイことワルイことなんてのは、簡単に覆る。


ここまで云ってきてなんだが、俺は人様に対して「死ねばいいじゃん」とかは絶対に言わない。上で云った「死が救いになる」と云うのはケースとして考えられると云うだけで、「死を勧める」わけではない。俺の言葉で誰かの命が左右されるのはゴメンだからさ。怖いんだよ、ブルーになりたくないんだよ。ただそれだけ。


ここまで読んでくれた人は、「生きる」ことが絶対善ではなく、また「死ぬ」ことが絶対悪でもないとわかってくれたと思う。たぶん。だから、と云ってはなんだけれども、誰かに対して軽率に「生きろ」とか言わないでほしい。それがどれだけその人にとってマイナスなことなのかは、俺にもアンタにも、場合によっちゃ言われた本人にもわからないことがある。もし許容量以上のマイナスが溢れてしまったら、そのときは。