テレビゲームは無駄か

11歳天才少年「テレビゲームは人類にとってなんの助けにもならない。時間の無駄」


痛ニュから元リンクのページの動画を見てみたけど、なんかゲームのことにはほとんど触れられてないイメージだった(俺は英語のリスニングほとんどできません)。マーシャルアーツって単語がようけ出てきたなあと思ったぐらいで、痛ニュの見出しのような「ゲームは無益」ということを前面に押し出した動画というより、この少年を紹介する動画というのが正しいような気がする。
……これだから情報操作は。


そしてまあ痛ニュに連ねられたレスは、批判が多い。ときには人格や年齢への攻撃もある。
「真実はいつもひとつ!」というのは、見た目は子供で頭脳は永遠の高校生の名探偵の残した言葉だが、俺は真実とは人の数、ひいては人の数と事象の数ごとにあると考えている。なんなら言葉にした時点、考えた時点で真実といっていいんじゃないかとさえ思う。
ネットを徘徊する上で、「ここにいる人たちはみんな勝とうとしている」という意識は必要じゃないだろうか。この少年の発言については、ゲームをしている人たちに対する否定発言だと捉えることができるから、ゲームをしている人間は躍起になってそれをさらに否定する。そしてその流れのひとつとして、人格や年齢への攻撃がある。……これって荒唐無稽じゃないか?
ネットで議論がなりたたないというのも、この「勝ちたがり気質」がボトルネックになっていると思う。議論では納得のできる答えを出すことが重要。その答えが万人の納得できるものであるというのが理想だが、まあそれは困難だ。そこで勝ちたがると、答えが出せなくなる。いわば、効率的な攻撃方法を見出すために組み手をしているときに、勝ちたがって相手を攻撃して殺してしまうようなもの。殺してしまえば相手は動かなくなるから、効率的な攻撃方法なんてのは見つからない。でも勝ったから満足する。当初の目的も忘れて。本末転倒だ(いや、本末転倒は違うかもしれない。そもそも相手を殺すため、殺しやすくするために、「効率的な攻撃方法を見出す」というのを理由に組み手を申し込み、殺すという手段も皆無とはいえない)。ましてやネット、しかも記事に対する攻撃は、相手からのレスポンスのない一方的なものになる。攻撃してこない相手に、いい気になって殴りかかっているだけに見える。ひょっとしたら、勝手に偶像をつくりあげて攻撃してるのかも。サンドバッグに顔写真はりつけて殴って「あーせいせいした」って言うみたいに。


子供だから真理を知らない、というのはどういう論拠だろう。経験がないからか。だがそれは一般的なものであって、この少年は勉学に励み、一般的な人々よりも結果を残している。


さて、テレビは本当に時間の無駄なのか。少年の発言の和訳では、「テレビゲームをプレイするのは、人類にとってなんの助けにもならないので時間の無駄だと感じます」とある。そもそも無駄とはどういうことなのか。俺は、たとえ人類の大半が無駄だと思ったとしても、たった一人が有益だと思ったなら、無駄ではないと考える。少年がなぜ無駄だと考えるのか、その論拠がわからないから確実な反証はできない。
無駄だという考え方は、まったくの間違いではないと思う。たとえば学校の宿題をしなければいけないのにゲームをするということは、第一目的である宿題の達成の妨げになる、ということで無駄どころか害悪となる。そう考えればゲームは無駄だといえる。
だがそれと同時に、勉強疲れをしたときにゲームをして息抜きをし、また勉強に戻ったときに効率があがれば、それは有益となる。そもそもゲームとは娯楽で、娯楽とは楽しむことに意義がある。勉学をする時間を割く必要があるかもしれないが、そもそも勉学と娯楽とはまったく方向性が違う位置にある。それを一面的に考えて、「無駄だ」「有益だ」といってもしようがない。ある面では無駄で、別の面では有益だから。そう考えれば少年の言葉は、正しくもあり間違っている。だから、こういった言葉に躍起になって正しい違うというのは愚かしいといえる。