反省

反省しなくてはいけな〜いことがある。


小説を書くときでもそうなんだが、文字を他人に見せるまでには推敲という過程が必要だ。誤字脱字がないか見るのはもちろんのこと、自分の言葉で他人が傷つくことがないかを吟味しないといけない。それを昨日(寝ちまったから感覚的にはひとつ前のエントリのこと)、怠ってしまった。書きたいことを本当につらつらと並べ立ててしまった。それが絶対的に悪いとは思わないけれども、長文を書いてしまったからには読みやすいように努めないとならない。駄文をつくるより妙文を。


ところでこういうふうに前日の自分を戒めることが俺には多いんだが、その理由のひとつに刹那的と云う自分の属性がある。刹那主義と云ってもいいかもしれない。聞こえは悪くないがその実、単なる「将来のことを見据えることができず、目の前の出来事や欲望に躍起になる」ということだ。これは俺の人生をことに狂わせてくれる。なにせバイトに行くために朝起きると、その時点で行きたくないと思い、そうすると実際に行かないことがあるくらいだ。バイトに行く日に行かない。出勤日に休む。理由は行きたくないから。社会人として許されるだろうか!
文章にしてみると、自分でもその愚かさに嫌になる。その責任(という言葉を用いることさえ躊躇われるが)のために、俺は今までしてきたバイトをいくつも辞めることになった。芸人やミュージシャンが売れなかった時代に、バイトに馴染むことができずに辞めてしまったことをアウトローであったかのように語ることは少なくないが、それが己が身に起こってみると頼りないことこの上ない。おかげで友人はほとんどいない。自分で立てた企画やスケジュールを守れずポシャることが多いんだから致し方ない。むしろこんな俺と未だ交友を続けてくれていることを感謝するべきだな。


こういった欠点は、身に沁みついてなかなか離れない。白シャツについたカレーうどんの染み以上のこびりつき。そんでそう思うとき、よく考えることがある。今の世界(地球全体、とくに先進国)は狂っている。なぜなら淘汰の基準が低いからだ。まず明言しておくが、俺は苛立ったときに殺してやりたいと思うことがあるにしても、全世界の人間、ひいては衆生において生きる必要のないものはないと考えている。よって自殺を促す発言や死ねと明言することはないと踏まえてほしい。さて淘汰の基準が低いということだが、身体障害者は今でこそ養護されているが、昔なら生きることが難しかっただろう。盲いているだけなら、按摩などの生き方があったかもしれないが、四肢を失って生きることは不可能に近かったことと思う。それは昔が厳しい世だっただけではない。自然だったはずだ。弱肉強食のなかで弱きものは淘汰される。これは遺伝子を強くするという生物学的な見地からは正しい。昔が間違っていないのなら、現在が間違っているということだ。現在の世界は、人間中心に回っている。世界における人間の占有面積や人口の度合いを知れば自明のことだ。そして弱者を擁護することが強者、もしくは人間味ある人間の振る舞いだという認識がはびこっている。これは人間中心社会ではまったく間違っていない。だが生物学的見地では、弱い遺伝子をこそ執拗に守るという行為はなんら利益がない。むしろ後退している。つまり人間は生物を超えようとしている。
少し考えればわかることだが、物理法則を覆すということは難しい。難しいなんてものじゃなく、不可能と云っても過言ではない。人間がしようとしている生物を超えようと云う行為は、難しい以上に不可能だと云える行為だ。それを試みている人間という種は、狂っているとしか云えない。猿が人間になりたいと云っているのと同義だ。むしろなにを云ってるのかわからない。
もしこの文を見ている方々のなかに「俺は人間を超えようだなんて思ってない」「わたしはそんなこと考えてない」「ワシがそんなこと考えたことがあるとでも思っているのか!」「あたしゃそげな大層なこと思いもせなんだよ」「余がそんな(ry」と云いたい人がいるかもしれない。別にかまわないと思う。ミステリ小説では殺人犯が物語の大筋をつくり、端役たちはその物語にムリヤリ付き合わされる。人間を超えようと云う考えをもたない人は、ムリヤリ物語に付き合わされる登場人物たちだ。そして大概にして、その付き合わされる人間は大多数である。物語をつくる犯人とは少数である。人間という種のなかに少しだけいる「人間を超えよう」と云う考えのある人間が、人口のほとんどを占める「人間を超えよう」だなんて考えない人間を支配している。これを否定することは難しい。人間という種を客観視すると、ひとりひとりの個体は無視されて人間という全体が重要視される。だから「人間は、人間を超えようとしている」と把握される。風邪をひいていても程度が低ければ治る見込みは充分にある。けれど、脳が菌に侵されてしまえば、どれだけ五臓六腑が正常でも死に至る可能性が濃くなる。そういうことだと思う。