レビュー 文章/芥川龍之介


あらすじ

 ある日、堀川保吉教官は弔辞の作成を頼まれる。死んだのは、保吉のあまり知らぬ少佐だった。保吉は小説も書いていたが、弔辞の作成には飽き始めていた。だから授業が始まるまでの30分で、弔辞を書き上げてしまった。
 葬式の当日、保吉の弔辞を校長が読み始めると、死んだ少佐の家族や弔問客は涙を流した。保吉は満足と共に罪悪感にさいなまれる。
 帰る途中、保吉は自分の小説への酷評を目にする。心を尽くした作品は蔑まれ、簡単に仕上げた弔辞が感動される……。保吉は落胆するのだった。




書評

 読んでいて思ったのは、芥川の小説は密度が高いということだった。作中では「上は柿本人麻呂から下は武者小路実篤に至る語彙の豊富を誇って」と保吉の筆力を表現しているが、芥川の語彙や葬式から始まる宗教知識などが、短編のなかにどっしりと構えている。あまりその知識が疎ましがられたりもせず、衒学的にも見えないのは作者の力量ということだろうか。まァ、それでも堅ッ苦しいのは否めないけど。

 本作のテーマについては、小説のみならずともいわゆる「クリエイティヴ(ヴで下唇を噛む)」な作業を営んでいる者ならば、プロ・アマ関係なく少なからず感じることだと思う。鋭意してつくったものが受けずに、気持ちを微塵も込めずに作ったものが評価を受ける。作品の魂ともいうべき作者の情熱に始まる感情の、いかに伝わりにくいことか。



 ちなみに主人公の保吉がバットを吸うシーンが見られるが、このバットとはおそらく「ゴールデンバット」のことであり、「朝日」などの銘柄と共に時代を感じさせる。僕自身はタバコを吸わないので、昨今の銘柄も詳しくないが、以前コンビニでのバイトをごくごく短期間だけしていて、そこではよくある”オッチャンが自分だけの略称で銘柄を指定し、すぐに出さなかったらキレたり、『いつもの』とか云い出して、すぐに出さなかったらキレたり、挙句には金銭を放り投げてよこす始末”を喰らったおかげで、トラウマにも似た苛立ちを伴って幾つかの銘柄は思い出すことができる。
 あと同年の友人でやたら背伸びしたがるヤツがタバコをふかすので、タバコとは背伸びの道具であることも知っている。
 さらにはゲーセンに行くと、やたら甘いフレーバーを醸し出している輩もいるので、自己顕示のツールであることもわかっている。
 このように、僕自身の経験知ではタバコにいい見識がないのだが、なるほど銘柄によって時代を感じさせることができるんだなァ、と(作者はそれを狙っていたのか定かでないにせよ)思った次第なのです。